ヒーバー城 Hever Castle
ヒーバー城に遣ってきた。ヘンリー8世の2番目の妻アン・ブーリン(Anne Boleyn)が幼少時代を過ごしたお城として名高い。
ヒーバー城の歴史は1270年に遡る。15世紀にブレン(Bullen 後にBoleynと改める)家の所有となりチューダー様式の邸宅が建てられる。
昨日のカンタベリー大聖堂の項で述べた、ヘンリー8世が婚姻無効を認めぬローマ教皇と断絶し、イギリス国教会を創設する原因となったのが、
アン・ブーリンとの結婚だ。映画”ブーリン家の姉妹”でこの辺りの経緯を観たが凄絶たるものだった。そこまでして結婚したのに、
世継の王子を産めなかっため、わずか3年でアンは断頭台の露と消えたのだ。しかし、アンの娘が後にエリザベス1世となったのだから、歴史は面白い。
因みに、城はヘンリー8世の4番目の妻アン・オブ・クレーヴズとの離婚の際にアンの所有となり、ここに住まわれたのだという。無情な話だ。
(余談 ヘンリー8世の6人の妻の内3人はキャサリン、2人がアンという名前だ。実にややこしい)
アンの死後、城は何人かの手を経て老朽化していく。
1903年アメリカの大富豪のウィリアム・ウォルドルフ・アスター(William Waldorf Astor)が買い取り、城を修復し、友人を招くための"Tudor Village"を造り、
そして、ガーデンと湖を造ったのだ。07年に始めてこのガーデンを訪れ、そのスケールの大きさと美しさに大フィーバーしたものだ。今回も必見◎だ。
ナビ子ちゃんに導かれたのは前回のパーキングとは雰囲気が違う。どうやら"Walled Rose Garden"の方にメイン・エントランスが変わったようだ。
期待感で気が急く。先を急ぎ過ぎて妻の顰蹙を買う。入ったWalled Rose Gardenは全体的にまだ開花は少ないが、
ほとんどバラ主体の植栽で4000本あるという。
高い赤いレンガ壁に囲まれ、中央にガーデンを2つに仕切る形でイタリアンガーデンのサークルの部屋が突き出している(写真上左)。
ここもアウトドア・ルーム方式が取られている。
2つのフォーマルなローズガーデンにはアンティークなイタリアンの像やコラム、コンテナ、欄干などのオーナメントが配され、重厚感の溢れるガーデンだ(写真上右3枚)。
サークルの内側の壁は大理石で造られている。床のタイルと併せ中央の男性像を引き立てる(写真右)。さすがのデザインだ。
ここを抜けるとイタリアンガーデンに出る。前回私をフィーバーさせたガーデンだ。ワクワクしてくる。
イタリアンガーデンは東西250m、南北70mもの広さがある。その東の面に壮観な開廊(Loggia)と柱廊(Colonnade)が築かれている。
そのテラスにはローマのトレビの泉をイメージした噴水があり、これがまた壮麗だ(写真上中2枚)。
テラスから見晴らす湖は広さ38エーカー(15ヘクタール、東京ドーム3個)もあり、これが人工湖であるところがイングリッシュだ(写真上右)。
800人が2年掛けて掘ったのだという。生憎の雨で遠くは霞んでいるが、大きな柳が川面に映る様は清々しい。
ここのガーデンは全体で125エーカーあり、ヘッドガーデナーのヨセフ・チール(Joseph Cheal)と息子によりデザインされ、1000人が従事し、
1904年からわずか4年で造り上げたものだ。
このイタリアンガーデンはアスター卿がアメリカの駐イタリア大使をしていた時代にコレクションした古代ローマ帝国時代からルネッサンス期までの
像(Statues) 、壷(Urns) 、石棺(Sarcophagi)そしてコラム(Columns)などの彫刻類を展示するためのガーデンなのだ。
柱廊を北に進む。ガーデンの北側の長辺はポンペイ壁(Pompeiian Wall)と呼ばれる高さ3.6mの壁が連なり、幾つものガーデンルームに仕切られている(写真上左)。
イタリアンガーデンのデザインを文章で表しているが、伝え切れていないと思うので"Google Map"でご覧いただこう。
地図右の長方形がイタリアンガーデンだ。上の長辺がポンペイ壁。写真上左から2枚目はローズ・ガーデンのサークルと対称にある像だ。
250mに亘って小さなガーデンルームが次々に展開する。南向きだから日当りが良く青々と茂った芝、ハーブ、草花の中に彫刻が置かれている。 中には2000年前のものもあるという。そして幾つかはセックスを連想させ、ここに載せるのを憚られる像もある。ポンペイ遺跡でもそんな像や壁画を沢山見た。 古代ローマ人はおおらかだったのだ。
全部のアウトドアールームを撮影した訳ではないし、撮影したものを全て載せた訳でもないが、これだけの彫刻があり、それぞれ趣の異なるデザイン・
植栽がなされていることに驚嘆し、興奮する。そして、メンテナンスが行き届いていることに感銘する。
雨は小止みになったが人出は鈍く、この素晴らしいガーデンを独り占めにしている気分だ。ここが公開されたのは1983年になってからのことだ。
イタリアンガーデンの中央部は一面芝が張られ、イチイの生垣と通路で仕切られている。因みに、ヨセフ・チールはアシュダウンの森
(Ashdown Forest 南へ10kmほどのプー・カントリーとして知られる広大な森)から樹木を運ばせ、新たに1000本のイチイの木を植えたのだ。
何とも気宇壮大な発想に感服するのみだ。
その芝の中にはスケールの大きなノット・ガーデンのような植え込み(写真下左)があったり、生垣沿いに大きな壷やコラムや像が並んでいる(写真下4枚)。
250mのポンペイ壁が終わるイタリアンガーデンの西面は半月池(Half Moon Pond)となっている。上のGoogle Mapで分かるように東面のテラスと
同じ形になっている。心憎いデザインだ(写真右)。
アスター卿がこれだけのコレクションをイギリスに持ってきた気持ちが分かるような気がする。これだけの彫刻類を活かすデザインができるのは、
長いガーデニングの歴史があるイギリスのガーデナーしかないだろう。これだけの数を置いて、煩雑さを感じさせないのは植物があるからだ。
博物館ではなく、飽くまでもガーデンということだ。
ガーデンの南側の長辺(下の辺)にはパーゴラ(Pergola Walk)が通っている(写真左)。バラ、藤、ブドウ、蔦などのつる性植物がクライミングしている。
パーゴラの南側の北向きの斜面はローマ近郊のチボリ(Tivoli)にある世界遺産の噴水公園"Villa d’Este"(1987年に訪れ、今なお深く印象に残るガーデンだ)
をイメージしてデザインされたらしい。滝が流れ落ち(写真下左)、洞窟の暗闇にも良い水音がする(写真下右)。
それだけでなく、斜面の至るところから水が噴出している。植栽は日陰と湿性に強いシダやギボウシが多用されている(写真下左から2枚目)。
噴水の斜面が終わると壁際の植栽は椿に変わる(写真左)。このコレクションも素晴らしいのだという。
レンガのアーチ門を抜けるとローズガーデンの隣に小高い丘が築かれ、植栽は端境期ではあるが、葉色などでブルーを基調にしていることが見て取れる
コーナーに出る。(写真下右から2枚目)。草花が咲いたらさぞかし素晴らしい"Blue Garden"になることだろう。もう一度ローズガーデンを一巡りする。
イタリアンガーデンを一回りして終わりのような書き方になったが、実際はその途中で寄り道をしているのだ。
半月池からお城に向かう広場に幾つものテントが張ってあり、チューダー風のコスチュームを着た人がいる。ダイアモンド・ジュビリーを祝うイベント
"Tudor Jubilee Celebrations"が開催されているのだ。午前中雨だったので人出が鈍く、まだ準備中のテントもあるが、
チューダー時代の様々なデモンストレーションが行われるようだ。別の広場では中世のアーチェリーも体験できるようだ。
チューダーの若者に写真撮影をお願いすると快くポーズをとってくれた。
外堀を渡るとお城が見えてくる。この城は二重の堀に囲まれているのだ。正面に見える門番小屋(Gatehouse)のみが13世紀に造られたものだ。
内堀に架かる橋は木の跳ね橋(Wooden Drawbridge)だ。ゲートのアーチ門の上部には落し格子(Portcullis)も見える。
中に入ればアン・ブーリンが住んだ15世紀のチューダー朝の城が見られるのだが、私たちは例によってガーデンオンリーなのだ。
橋の袂で写真を撮っていると、アーチ門の下にいたチューダーのコスチュームの威厳ある紳士がこちらに遣ってきた。
「城の中は見ないのか?」と言う。「ガーデン オンリー、アー ユー ヘンリー[?」と聞くと「ノー」の返事だ。
記念写真をお願いすると「ここが良いだろう」と位置まで決めてポーズをとってくれた。
外堀と内堀の間、ゲートハウスの斜向かいにイチイの木の迷路がある。ルネッサンス期から富裕層の間でガーデンに迷路を造ることが流行したのだ。
それに習いアスター卿が造らせたもので、24m四方、垣根の高さは2.4mという立派のものだ。方向音痴の私はこういうものにはチャレンジしない、
”君子危うきに近寄らず”。写真下左は迷路の入り口のハーブガーデンと像。美しい。
城の後ろ側(北側)にアスター卿がゲストの宿泊施設として建てたチューダー村(Tudor Village)がある(写真下左から2枚目)。
素晴らしいロケーションだ。ここは今でも宿泊施設となっている。ここに泊まって湖の北に広がるゴルフコースでプレーする夢はいつか叶うと信じよう。
城と内堀を挟んで東側がチューダー・ガーデンだ。ここで特筆すべきは上右から2枚目のガーデンだ。イチイの垣根で台形に囲われ、
1ヶ所からしか覘き見ることが出来ない。奥に並んでいるのが"The Tudor Ghess Set"といい、
ヘンリー8世の時代のチェスの駒を金芽のイチイ(Golden Yews)でトピアリーしたもので、1905年に植えられた。
その前に立っているのはアーミラリ天球儀日時計(Armillary Sphere Sundial)だ。1710年に作られたものだという。
07年は6月下旬の訪問だったが、足元の生垣の中にコスモスが鮮やかに咲いていたのが印象的だった。今年はまだまだのようだ。
イギリスの大きなガーデンでは良く見られる"Yew Walk"がここにもある(写真上右)。長さは50m位、突き当たりに像がある。これが大切。
隣の部屋がハーブガーデン(写真上左)。部屋と部屋の繋ぎの意味合いを持つガーデンだ。まだクリスマスローズの花が見られる。
中央付近右に写る男性はThe Tudor Ghess Setのガーデンを覘いている。
男の後、左の部屋が真ん中に噴水があり、周囲はバラのバレリーナだけの植栽のガーデンだ(写真上中2枚)。07年は満開で目を瞠ったものだが、
今年は溢れんばかりの蕾で我慢しておこう。スタンダード仕立てもバレリーナだ。
07年の満開のバレリーナは”こちら”
次の一角に小さなヘッジガーデンがある。07年とデザインが少し変わっている(写真上右)。どう変わったか興味ある方は上の”こちら”で確認を。
上の写真3枚の背景に見られる建物が城の東面だ。この壁の内側に15世紀のチューダー様式の建物があるのだ。
城の前から西の出入り口への通路の両脇に沢山の大きなトピアリーが並んでいる。トピアリーの形は人それぞれ、見えたように解釈すればよいのだが、
私の目には上左からウサギ、ハト(同じものが沢山ある)、???、カタツムリだ。07年の訪れたときにこれを刈り込んでいるガーデナーと話をした。
1つを刈り込むのに2時間掛かるということだ。このカタツムリが頭にあったからだろう陽だまりにも小さなカタツムリのトピアリーを作製した。
下は左からシカ、ブタ、トピアリーと城の西面、???だ。シカとブタは07年には見なかったと思う。前述のヘッジガーデンにしてもそうだが、
ガーデンは生き物、ガーデニングは進行形だと実感する。このガーデンの進化振りを見て「斯くありたい」と思う。
ここはロンドンに近く、有名な城だから団体客も多い。日本のおばちゃん軍団に出会ったが、余りお行儀が良くなかったので知らんぷりをしておいた。
Address | Hever, Nr Edenbridge, Kent TN8 7NG |
Telephone | 01732 865224 |
Web Site | Hever Castle |
オープンの日・時間や入場料は Web Site あるいは
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Gardens Guideで確認ください。
「旅行記」もご覧ください。